☆☆☆☆行事予定☆☆☆☆

2012年9月25日火曜日

戦艦大和

クロガネモチの消毒をして頂いている、山口造園さん
今回は、18日の日に折れた?って言う〜 折ってしまった枝
「たぶん大丈夫ですけどね〜」
とは言え、枯れた枝じゃないし〜
後から言われてしまうと(汗
で、傷口から感染してしまうといけないので、日曜日に2ヶ所手当をして頂きました。


副会長の精明さんから「ヤマトの生還者で、山口さんのお父さんに似てる・・・」
と言う事を聞きまして、山口くんへ・・・

内容は
BS プレミアムで、2012年8月26日(日)15時〜18時に放送されたもので
NHK 巨大戦艦大和クリックして頂ければ、お試し視聴で・・・
山口くんのお父さん、「山口甚之助さん」です。


 戦艦大和の遺言 中部の乗組員たちの記憶
 傾いた甲板をちぎれた手足や機関銃の箱、空の薬きょうが転がり落ちる。
迫りくる海から逃げようと、這い上がる乗組員たち。
倒れた兵は甲板に爪を立てるが、ずるずるとすべり落ちていく。
 米軍機から魚雷と爆弾の集中攻撃を受けた大和は、左に30度以上も傾いた。
黒焦げになった機銃が頭に落ちてくる。絶叫が海に響いた。
 左側艦尾の機銃にいた三重県員弁市の水兵長渡辺正信(89)の眼前に、海面が近ずいてきた。
「退避、退避」と伝令兵が叫ぶ。  死を覚悟し涙が出る。
隣の若い兵は恐怖のあまり失禁し、ズボンをぬらしている。
   ひざ下まで海水が来た。 靴を脱ぐ。体が海に吸い寄せられる。
脳裏に母の顔が浮かんだ。  かすりの着物ともんぺ姿。 「おかあさーん」。  首まで水に漬かり、体が浮いた。
 司令部のある艦橋の方言測定室にいた三重県桑名市の上等水兵山口甚之助(83)は、同期生の「岸本」と一緒に外に出た。
 主砲がすでに水に漬かっている。傾いた壁に足をかけると、皮靴が滑った。 左手で艦橋の窓枠をつかむ。
すべり落ちた岸本が、山口の右手にぶら下がった。 左手一本で二人の体重を支える。
渦が近ずく 頭が真っ白になった。  「頑張ろうなー」。渦にのまれ、つないだ手が離れた。
  「戦闘中止。直ちに退去せよ」。敵との距離を測る側路儀にいた三重県名張市の水兵長北川茂(87)は、
甲板の下にある 中部指揮所の仲間に電話で伝えた。 ヘッドホンから沈んだ声が聞こえた。
「水が入ってドアが開かない。でられない」
 ヘッドホンからパン、パンと銃声が聞こえた。 自殺したのだろう。
艦低のボイラー室や弾薬庫にいた多くの兵が、同じように閉じ込められていた。
「北川 最後のタバコ吸わんか」。同僚が出撃前にもらった恩賜のタバコを取り出した。
二人で火をつけた後、海に落ちた。
艦はさらに左に傾く。滝のように海水が甲板に降り注ぐ。
大和はついに横倒しになり、艦の赤い下腹があらわになった。
♪  海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍
 船べりにつかまった数百人が「海ゆかば」を歌いだした。
包帯を頭に巻き、軍服を引きちぎられた男たち。
国のために死ぬのを本望だと言う歌詞を、声を限りに叫んでる。
百人ほどが一列に並んで両手を挙げた。
「ばんざーい ばんざーい ばんざーい」
声が途切れたとたん 大和がごう音を立てて裏返しになった。
兵も一緒に海に落ちる。
直後に艦の中央で大爆発が起きた。
1945年4月7日 午後2時23分。
戦艦大和は中央で真っ二つに割れ、九州南西沖の海底三百五十メートルに沈んだ。
 一緒に戦っていた駆逐艦「磯風」の二等兵曹戸谷永吉(85)岐阜県下呂市は二、三百メートルの黒煙が噴きあがるのを見た。
戸谷は大和が好きではなかった。  いつも後方にいて戦わない。
自分たちが敵から大和を守っていた。
でも、この日は違った。
戸谷は大和に向かい 無意識に敬礼していた。

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