まずは、自治会そして寺総代の衛さんによる正信偈
そして、美味しい大根みそ汁と、ひじきとひね大根による漬け物!絶品っす!(大笑
報恩講で読まれる、「御文書」があります。
それが、これだー!
こちらをクリック!
現代文の内容は
ここのたびの御正忌報恩講に参詣され、御恩報謝のおもいで御影の前に来られ
た人の中に、真実に信心を得られた人もあり、またそうでない人もあると思わ
れます。これこそ一大事であります。真実の信心を決定することがなければ、この世に生まれた本当の目的である浄土の往生が果たされないからてす。いまだ真実に教えをいただいていない人は、はやくその教えに出遇うことです。人間の世界は、どこまでも不安定なものです。仏の国は確かなせ界です。不
安定な人間の世界よりも、変わることのない仏の世界に生きることを願うべきです。親鸞聖人があらわされた仏道は、なによりも信心の決定を先とされてい
ます。そのこころを得なければ、一生が無駄になります。このことにはやく気
づいて、浄土の往生を願うべきです。
世間では、ただ口に念仏を称えさえすればたすかる教えのようにいわれてい
ますが、それは大きな心得ちがいであります。他力の信心とは、南無阿弥陀仏
の六字となっている阿弥陀如来を深く信ずることよりほかにはありません。信心とは、『大無量寿経』に「聞其名号 信心歓喜」と言われ、善導大師は「南無とは帰命であり、仏心のはたらきである。阿弥陀仏は真実の行である」
と言い切っておられます。南無という二字は、われわれのこざかしさのすべてを捨て、教えにしたがっ
て、一心に阿弥陀仏をたのむこころです。阿弥陀仏という四字は、一心に弥陀をたのむ人を、そのままたすけるというはたらきです。南無阿弥陀仏の六字を、こ
のように開きえたことを、信心をとるといいます。これが他力の信心に目覚めた念仏の人であります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
で、その後は、「丹羽龍美先生」による法話が2時間!
先生曰く、2時間の法話のなかで「キラッ」っと自分の心に・・・
で、私は〜。法話とは
伴侶に対し「心で、ありがとう(合掌)」ですかね〜
本当は、心でなく口に出した方がええですね!
ためになったね〜(核爆
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